GARDEN CITY LIFE~annex~

お越しいただきありがとうございます。当ブログは清水玲子先生の『秘密』のレビュー(時にネタバレ)と二次創作(こちらは一部BL要素含)のざっくり二部構成になっております。記事は単純に日付順に表示されておりますので、お読み頂く際はサイドバーや記事一覧などでカテゴリーをご確認またはセレクト頂けますと安心、安全です<(_ _*)>

さまようふたり 終章 

自己満SSになってきましたが、終わりです(^^;;
今回は原罪編と今の連載の間、ということでお願いします<(_ _)>
ほんと、滑り込みセーフ(笑)…と言いますか、実はもうメロディ読んだのです(^^;)今、喋りたいの我慢中…明日が楽しみです。
恒例ではありますが、明日は強烈なネタバレサイトになってますので、ご注意くださいませm(__)m
あ、鞭を予想して覚悟してたんですけどね、安心してください、飴、続いてました。先生、年末にまた落とすつもりですか…?(;'∀')

※これも勢いでアップしちゃいましたがあんまり見なおせてないのでおいおい修正します誤字脱字多いと思いますがすみません、適当に流していただけると助かります…






さまようふたり 終章


今朝、まだ少し熱が残る俺は薬のせいで眠りが浅く、眠ったり目を覚ましたりを繰り返していた。そんな中、短く奇妙な夢を見た。

*    *    *    *

ここはどこだろう。薄暗く肌寒いその部屋の中には何もなく、俺はぽつんと一人窓際に立っていた。そこだけは外の光が入り、少しだけ暖かさを感じることができた。外は柔らかい日差しに包まれていたが、不思議なことに景色は判然としない。ずっと向こう側、対角線上にある戸口の近くに壁にもたれて立つ人影があった。顔を見る前に薪さんだ、と気づく。俺がいる場所からは同じ部屋の中だというのに微妙に距離を感じた。姿はしっかりと見えるのに、薪さんが立つ場所までに横たわる薄暗い空間には随分奥行きがあるようだった。
窓の外からは、そよぐ風や葉擦れの音と共に楽し気な話声がおぼろげに聞こえてくる。誰だろう、と思っていると、戸口の方から「こーちゃん!」と呼ぶ舞の声が聞こえた。
「舞!」
「こーちゃん、みんな待ってるよ?お外に行こう?」
舞は言いながら俺の元に駆け寄り、いつものように立っている俺の腰にぎゅっと抱き付いてくる。
(あれ…?)
その時になって、俺は自分の手足や舞の身体がぼんやりと光彩をまとっていることに気が付いた。何だろう、と思いながら薪さんを見る。だが何故か腕組みをして立つ薪さんの周りは闇に沈み込むように暗く、それなのにその姿だけがはっきりと見て取れた。
「こーちゃん、早く」
舞はそう言って俺の手を引っ張る。ごめんね舞、すぐに行くから、先に行っていて。
俺がそう言うと、うんわかった、と頷いて舞は駆け出して行った。薪さんのすぐ傍を駆けて行ったのに、舞が薪さんを気に留める様子は無い。
駆け出して行く舞を目で追っている薪さんの表情は穏やかで、口許には微笑が浮かんでいた。それは決して寂しげではないが、儚げな微笑だ。
唐突にどうしてだか言いようもなく不安になった俺が薪さん、と呼ぶと、気づいた薪さんは顔を上げてその微笑みを俺に向けた。そんなところで一人でいないでこっちに来ませんか。そう呼びかけるけれど、薪さんはそっと頭を振って微笑むばかりだ。一歩も動こうとはしない。 なら俺が行こうか。そう思うのだが、意志に反して足は少しも動かない。それは金縛りのような不自由なものではなく、まるで力がこもらない奇妙な感覚だった。

僕はいい、ここからでもお前たちの姿はよく見えるから。ちゃんと一緒に、同じ部屋にいるよ。

遠くから、薪さんは静かにそう返した。同じ部屋?でも…。
すみません、けどそこはちょっと遠い気がして。もう少し近くにいましょうよ、なんだか心細いじゃないですか。心配なんです。だって薪さん、目を離すともういなくなっちゃいそうで。

大丈夫。僕はどこにも行かない。ここからお前達を見守っているから…それくらいがちょうどいいんだ。青木、早く舞ちゃんのところに行ってやれ。僕はどこにも行かない。ここでずっと待っているから。

待っている?ずっと?
胸がざわつく。やっぱり、薪さんのいる場所は少し暗い。不安じゃないんだろうか。あの場所は、寒くはないだろうか。そんな心配が胸をよぎった。だって薪さんはいつも平気そうにしているから。なんとかしたい、なんとかできるんじゃないか…自分なら。いや、そんなことを思うのはおこがましいよな。俺は一回りも下のただの部下なのに。大して何の力だってないっていうのに。すみません、すみません薪さん…でも気になるんです。
狼狽える俺を前に薪さんは困ったように笑って、早く行け、皆が待ってるぞ、と小さく呟いた。

*    *    *    *

ピピッ、ピピッ、ピピッ、という電子音に、俺は閉じていた目を開けてのそのそと起き上がった。寒気は引いたが、身体はまだだるく、腰と背中が少しだけ痛い。舞のインフルエンザをもらってしまってもう4日、今朝から熱も下がっているし、そろそろ復帰できるように準備をしておかないといけない。
取り出した体温計は微熱程度で、昨夜までの高熱を思えば平熱も同じだ。時計を確認すると、俺は仕事用の机に向かい、椅子にかけておいたワイシャツを手に取った。
以前から予定に入っていた打ち合わせを、ここのパソコンからさせてもらえるよう朝のうちに岡部さんに頼んであった。わざわざ無理を言って俺のためにとってもらった枠を、スケジュールを組みなおしてまでずらしてもらうわけにはいかない。
着ていたパジャマを脱いでいると、トントン、とドアをノックする小さな音が響く。舞だ。
「こーちゃん、もうお熱上がってない?」
ワイシャツを羽織りながらどうぞー?と声をかけると、ひょいと控えめに舞が顔を覗かせた。自分がうつしてしまったせいで、この子はずいぶん俺を心配してくれていた。高齢であまり丈夫でもない母にうつしてしまうのでは、と心配していたのだが、その母に代わって俺の食事を運んだりタオルを持ってきてくれたり、家にいる間、病み上がりにもかかわらず自分ができることは進んでしてくれている。お姉ちゃんになりつつあるその頼もしさは、身体の辛さを和らげるほど嬉しかった。
「おいで」
もう大丈夫だよ、と言って手招きすると、舞は嬉しそうに駆け寄って来た。パフッ、と俺の腰に腕を回して抱きついて、良かったー、と言う。
「明日の準備はした?」
「うん。おばあちゃんと一緒にしたよ」
「歯は磨いた?」
うん、と舞は元気に頷く。
「こーちゃん、お仕事できて嬉しい?」
唐突に、舞は俺を見上げるとにっこりと笑ってそんなことを言う。
「え?」
「こーちゃん、嬉しそうだよ」
そうかな?自覚はなかったけれど、子供でも身内にはわかってしまうくらいには顔に出ていたのかもしれない。
――あの人に会える。
大体においてそれは、俺の気分を高揚させるから。
「…うん。そうだね、久しぶりだから」
舞のおかげだね。ネクタイを締めながらそう言うと、舞は俺のベッドに座って身体を上下に揺らしながら、エヘヘ、と嬉しそうに笑った。動くたびに柔らかい髪がふわふわと揺れて、親バカだけどそんな姿は天使のようだ、と思う。
「治ってよかったね」
「舞もね」
遊び足りないのか、この時間にしては珍しく元気そうにベッドの上で身体を弾ませる舞に歩み寄ると、俺はぎゅっとその身体を抱きしめて下に降ろした。
「さぁ、もう遅いから寝ようか。明日起きられなくなっちゃうよ」
「はーい!」
素直に返事をすると、舞はおやすみなさい、と言って目線を合わせるようにしゃがみ込んでいた俺の頬っぺたに短くキスをした。俺もそのやわらかい頬にキスを返す。
「おやすみ、舞」
「うん、また明日ね。おやすみなさい」
舞は小さく手を振って、バイバイ、と部屋を出て行った。
――おやすみ。
そんな風に、毎日を静かに幸せに、一緒に終えることができたら…。そして朝、おはようと笑顔を交わすことができたら…。
舞を引き取ってから毎日のように積み重ねてきたそれは、もう千回を超える。
できることならそんな風に何かを積み重ねていける関係になりたい。仕事ではなく、いつかの夜垣間見ることができた私生活のあの人と。
あの手紙を書いた時、俺の中に芽生えていたのはそんな願いだった。家族。その願いを叶え、あの人をつなぎとめられる何かがあるとすれば、俺の中で気持ちを集約して表現できる言葉はそのひとつだけだった。俺が知り得るあの人に受け入れてもらえる可能性が少しでもある絆。それがあるとするなら、そう呼べるものしかないと思えた。
でも、あの人に求めたいものは次から次へと溢れて、それをいざ言葉にしてしたためていくと、駄目だ、ととてもそんな手紙を送りつける勇気は持てなくなってきた。読み返すほど、そこに滲み出ている自分の本心に目を向けざるを得なくて、俺は何度も書き直してはそれをに握りつぶした。そうしながら、そんな自分が今に至るまでの数年間の自分と重なるように思えてくる。掴みかけては手放し、見えそうになると打ち消してきた日々。
それを振り返ったら、どうしようもなく涙が溢れた。はじめて会ってから、ずっとほとんど当たり前に毎日顔を合わせ、同じ空気を吸っていたあの人はもう、遠い空の下、手を伸ばしても届かない場所に行ってしまった。俺の目の前の狭い世界からは飛び出して、もしかすると本来あの暗く静かなフロアよりあの人を自由にするのかもしれない広く明るい世界へ。そこは俺には完全に無縁の地だ。手紙を書いた時、俺の中を占めていたのはそんな切なさを伴った寂しさだった。
行かないで下さい。
行かないで下さい。
ここにいて下さい。
他には何も求めないから、あなたの手を握って、離さずにいることを許して下さい。あなたを俺の手が届く世界に閉じ込めておきたいと願う身勝手を許して下さい。
空港へあの人を送る途中の公園で必死で押し殺した感情と、本当はぶつけたかった言葉。それがまた何度でも強く甦り俺を攫っていくような感覚に、手紙に記す言葉を選びながら、その作業中ずっと胸が苦しかったのを思い出す。
(…こーちゃん、嬉しそうだよ、か)
子供の言葉は素直で恐れや迷いを知らず、まっすぐだ。だからスッと、負担なく受け取るものの心に届く。
単身乗り込んだ要塞のような建物で見つけた一人きりで戦い傷つき壊れかけた薪さん。その人をただ救いたくて、あの時の俺は背を押してくれる人たちの思いに力をもらい、まっすぐな思いを言葉にしてぶつけることができた。目の前に崩れ落ちそうなあの人に必要だったのは、心臓を確実に撃ち抜かれることではなく、その胸に想いを届けることだと思った。あの人を愛しているみんなの、俺の想いを。
たとえ拙い言葉でも、想いを込めれば人の心は動かすことができる。言葉に込めた強い気持ちはそれを変え、閉じた扉を開かせることだってできる。
だからそんな風に、まっすぐな気持ちを言葉で、そのままに伝えよう、今度もし、あの人がその機会を俺に与えてくれたなら。
あの手紙に、嘘はなかった。自分の気持ちをごまかしたり聞こえのいい言葉で飾ったり、そんなことをしたつもりもない。でも、書けば書くほど、それとは微妙に食い違っている俺の本音。いや、食い違っているのではなく、近いけれども似て非なる感情。こうなりたい、こんなことをしたいという前に、本来伝えなければならない気持ちが、本当はある。
――今ここで聞くから
そう言われて詰まってしまった。あの人は、だからきっとそれに気付いているのだ。俺が困るのを知っていて、あの場所を、あのタイミングを選んで黙らせた。それ以上俺が引きずることのないように、終わらせようとした。もしかすると、あの人自身もそれを引きずることがないように。俺の勘違いを諌める気でいたのなら、きっと最初に切り出した時にそうしている。もっと先に、これは何のつもりだとはっきり言うなり、突き返すなり。何のリアクションも取らず、そのまま読んでないなんて回りくどい嘘はつかないだろう。
まだ、薪さんは俺の言葉を立ち止まって聞いてはくれない。そういうことなのかもしれない。急がなくていい、待っているからと言ってくれたあの人を、今度は俺が待つ番……。
だったら、今はいい。返事はなくとも、待っていると言ってくれたあの人が変わってしまったわけではないのがわかったから、今はもうそれだけで。
待っている間人はその人を思い、心で目で、姿を見つめているものだから。
少し前負傷して運ばれた病院で、入院中の俺を薪さんは何度も仕事の合間をぬっては見舞ってくれていたのだという。肝心の退院の時、地元に戻る俺たちを見送りには来てくれなかったけれど、舞や母の前に姿を見せないのはあの人なりのけじめだろう。そして、それには一番あの人らしい不器用な信頼や愛情が現れている気がした。姿を見せずに仕事を選ぶ姿勢に、隠さないあの人の気持ちが表れている気がする。わかるだろう、と。お前なら許してくれる、理解して認めてくれる。そうじゃないのか、と。
それは俺だって同じだ。銃口を向けるあの人に駆け寄った時、撃たれるのも覚悟した。射撃の名手であるあの人の腕なら目標を誤ることはないだろう。それでもいいと思った。あの人を自滅に追い込み、物言わぬあの人の脳を覗き見るくらいなら。
舞にはもう会えないかもしれない。母をまた悲しませるかもしれない。それでもいいとさえ思ったのは、家族だからだ。きっと俺が望み決めたことを、すぐには無理だとしてもいつかはわかってくれる。舞や母なら…。それは自分に都合の良い切り捨てだと言われるかもしれないのはわかっている。理解できるはずがないだろうと言われ責められるかもしれない、と思わなくもなかった。でも、わかってくれるはずだという希望にかけた…大切な人を信じて。ひどい決断だけど、思い切れたのは確かで揺るぎない信頼や愛情があったから、そこから力をもらうことができる自分を感じたから。薪さんが何も告げず顔も見せず、自分で追い続けた事件に決着をつけるため俺を帰らせたのも、もしかすると同じではないのだろうか。かつて第九を去らねばならなくなった時、ろくな挨拶もなしにあっさり出て行ってしまったのも、また…。
それは、そこに居場所を見つけた者だからできること。
だったら、もしかしたら俺は――手紙に返事はなくとも、俺はもうあの人の中で……。

*    *    *    *

『なんだその格好』
薪さんの身分を考えればもうとっくに帰宅して自宅でくつろいでいるのが自然な時間だというのに、ネクタイこそ外していたがパリッとした雰囲気は崩すことなく、画面の向こうのその人は疲労の色など微塵も感じさせないやわらかい笑顔を俺に向けた。昔は、こんな風に気安く笑ってなどくれない人だった。そういう変化が素直に嬉しく、俺はマスクをしたまま口元をほころばせた。実際には対面していないのでうつす心配はないけれど、空気が乾燥しているせいか喉の痛みが取れないのだ。
「いえ…さすがにパジャマとかじゃまずいですし、普段着でするのも緊張感がない気がして…結局これが落ち着くんです」
『病気なんだから気は遣うな。それで、もう大丈夫なのか?』
「ハイ、もう熱もほとんどないですし、明日には出られるかと」
『解熱して二日は休んでおけよ?他の職員にうつされて職場が機能しなくなると困るからな』
それだけ言うと、薪さんはじゃあ早速だが、と手元にクリップで留められた書類をを手繰り寄せる。俺が送ったファイルを出力したものだろうと思われたが、たくさんの付箋が貼ってあるのがちらりと見えて、もしかするとあの数だけつっこまれるのだろうか、と俺は思わず身構えた。でも。
『……概ねよくまとめられている。引っかかったところもないわけじゃあないが大きな修正は必要ないだろう』
薪さんはパラパラと書類を捲りながら、珍しく穏やかにそう言って目だけで俺を見、それからおかしそうにふっと笑った。
『そんなに身構えなくても見境なく怒ったりはしないから安心しろ』
「いえ、すみません…つい昔の癖で」
慌てる俺をよそに、薪さんは再び書類に目を落とし、それで、と続けた。
『スライドだけじゃ弱いところは実際のMRI映像を入れよう。この前おまえが送って来たMRI、あれをもう少し短く編集して使えないか?』
「そうですね…でもあれは結構刺激が強くないですか?大丈夫でしょうか?」
『構わない。現実を知ってもらうにはあれくらいのインパクトが適当だ』
薪さんは近く開催されるMRIに関するシンポジウム用に俺がまとめ上げたプレゼンの資料に関し、いくつかの指摘をあげつつ助言をしてくれる。あちこちでこの手の講演会やプレゼンをこなしてきた薪さんは俺と違い場慣れしている。聞き手の反応に想像がつきやすく、どうすれば注目を集め聴衆をひき込めるか、効果的な方法を心得ていた。その言葉の一つ一つを聞き洩らさないよう、俺はメモを取りながらいくつかの質問を投げる。薪さんは打てば響く速さでそれに答えてくれ、改めてその聡明さに感心せずにはいられなかった。
もう当たり前のように慣れているつもりでも、やはり薪さんは突出しているのだと思う。図書館をまるごと詰め込んだようなその知識、俺たちが手順を踏まなければ辿りつかない核心にあっという間にたどり着くその思考力、常人は気付かない盲点を指摘する鋭い目。最初から、この人は近くて遠い人だった。その距離はこうして仕事に向かう時、厳然と俺の前に横たわり続け縮まることがないように思えた。かつてこの人の傍にいた鈴木さんは、それをどんな風に感じていたのだろう。あの人はこんな風に遠くから見ているしかない心許なさを感じることはなかったのだろうか。誰も同じところには立てないこの人の姿に、何を思っていたのだろう。
でも俺は…何度置いて行かれる寂しさを味わっても、届かなさにもどかしい思いを抱いても、追い続けること、傍に近づくことを諦められない。むしろ引き離されてしまうたびに、想いは募っていく。
今でもこの人の元で、共に働けることを――同じ目的で同じモニターを見て、想いを一つにできるあの感覚をまた味わいたいと、傍に在りたいと思わない日はない。手紙に記したようなプライベートを望む気持ちの陰にはいつもそんなささやかな願いが隠れているのだ。
『……そんなところだな。おい、大丈夫か?』
早く横になって休め。一通りのやりとりが済んでも微動だにしない俺を見とめ、画面の向こうで薪さんは少しだけ笑った。 つられて俺もマスク越しに笑みを返す。
「……はい。お忙しいのにありがとうございました」
ちらと手元の時計を見れば、時刻はもう23時を目前にしていた。朝誰より早く来て、夜誰より遅く帰る――そんな生活を未だに毎日しているわけではないだろうけれど、きっとこの人にとってそれは、一番気が楽な生き方なのだろうと思った。
画面の向こうで、薪さんは広げた書類を手元に集めている。それが終われば、つながった空間は、縮まった距離は気後れするほど離れてしまうのだろう。
『シンポジウムには僕も行く。その時までにはきちんと治しておけよ』
そう言うと、薪さんはじゃあ、と視線を伏せた。そのまま、常ならば通信は向こう側で切られる。俺はいつも暗くなる画面を見るのが何となく嫌で、職場での通信時には最後に一礼し、頭を下げたままその瞬間を避けていた。薪さんの姿が目の前から消えるのが嫌で。でも、貴重な薪さんの時間をこれ以上奪うわけにも行かない。俺は引き留める言葉は紡げずに、いつものように頭を下げた。
「はい……おやすみなさい」
プライベートでもないのに。仕事のやりとりの流れで、そんな締め方はおかしな気がした。なのに迷わず、俺の口は今伝えたいことを抑えることなく伝えていた。こんな甘えたことをしてしまうのは、まだ体の奥に残る熱のせい――そういうことにしてしまおうと自分に言い訳をして。
当たり前だけれど、薪さんからは返ってくる言葉は何もなかった。
きっと苦笑を浮かべながら、薪さんは黙って通信を切ってくれるだろう。頭を下げながら密かに、また性懲りもなく返事を期待してしまっている俺を、しょうがないやつだと許してくれるだろうその優しさに、たとえ学習能力がない、と言われても甘えたかった。じっと目を閉じてしばらく頭を垂れ続けてから、俺は大きく息をついてそのままくるっと椅子を回転させた。耳にかけていたマスクを取る。デスク脇にあるゴミ箱にそれを放り入れると、背中を丸めて今度は小さめに溜息をついた。
次はシンポジウムで――
薪さんの言葉を胸の中で繰り返す。また、それまでが長いな…そんな風に思う自分がおかしかった。まるで遠距離の想い人に会える日を、指折り数えて待つかのようだ。
言われた通り、早く片付けて休もう。
デスクに手をつき、立ち上がる。そうしてふと、俺はまだモニターの通信が途絶えていないことに気づいた。もう当に切られていると思った、その画面。そこには操作途中で手を止め、こちらを見つめている薪さんが映っていた。え、という声が思わず口から洩れ、ドクンと大きく心臓が脈打つのを感じた。顔が火照るのを感じたのは、熱のせいではない。もしかして、見ていた?――見られていた?
「え?薪さ――」
『…おやすみ』
カチッという操作音と共に回線が切られる寸前に。
まるで滑り込むように、けれどはっきりと。 画面に映った薪さんはじっと目をそらさずに俺を見て、確かにそう言ってくれた。気づかずにいたことに愕然として動けないでいる俺を笑うのではなく、今朝うつらうつらしながら見たあの夢の中のような微笑を浮かべ。
画面の中のその人に、意志を離れた俺の手が伸びる。だがその手が画面に届くのは待たずに、視線を伏せた薪さんは、クスリと笑って通信を切った。



(終)



おつきあいありがとうございました<(_ _)>




関連記事
スポンサーサイト

Comment

Name - eriemama  

Title - Re: 終章はなんだかあったかい

> 最後はなんだか温かい読後感ですね……。

こちらにもありがとうございます。そうですね、最近朝晩寒いし、ぬくもり大事(笑)

> 同じ部屋にいるけど、なんとなく薪さんの周りが暗くて、心配になるあたり、なんかもう………

ここはもっと違う感じだったんですが…元々別の話っていうか考察だったんですが、合体したらこうなってしまって(^^;;
ちょっと失敗しましたね(笑)

> そしてスカイプいいですね。絵が見えるの、いい!
> 初?おやすみいただけて良かったね、青木くん。

スカイプはしたことなかったんで、スマホのテレビ電話なイメージだったんですが、それっぽいシーンが12月号に目白押しで笑っちゃいましたw
普通におやすみなさいしてるかもですね(笑)

> そして子供がいるとどんどん病気をもらってしまうあるあるネタ………(笑)

ハイこれは実体験!(笑)だいたい子供が回復早くて、大人の方が重いっていうね。うちは夫が大体毎回犠牲になるんですよ。でかいのに弱くて。青木はどうでしょうね、保育園行かせたりすると最初の半年は病気の嵐だっていいますが(笑)
2015.10.29 Thu 11:55
Edit | Reply |  

Name - ねこじゃらしにゃんたろー  

Title - 終章はなんだかあったかい

最後はなんだか温かい読後感ですね……。

同じ部屋にいるけど、なんとなく薪さんの周りが暗くて、心配になるあたり、なんかもう………

eriemamaさんたら上手いっ………!!!!

そしてスカイプいいですね。絵が見えるの、いい!
初?おやすみいただけて良かったね、青木くん。

そして子供がいるとどんどん病気をもらってしまうあるあるネタ………(笑)
2015.10.28 Wed 12:41
Edit | Reply |  

Name - eriemama  

Title - Re: ああ、もう

> こんな素敵な終わり方を用意されていたとは!

ここに至るまではグダグダですが!(笑)乱文、ほんまにすみませんです。落ち着いた頃手直ししないと…( ; ; )

> 青木くんも考えてるよ、グルグルだけど。私も、手紙3人の視点で書こうと思ってたけど、ええ、もう充分満足しました。

いや、こんなので満足せず書いたってください(・・;)今日の岡部さんは衝撃でした。ありがとうございました。

> 最後の一言と、そこまで切らずにいた薪さんの想いがたまりません。ああ。でも、伸ばした手が届く前に画面が落ちるとは!薪さん、さすがSだ‼

覗きと寸前で閉店ガラガラ、は薪さんのお約束です(笑)←こんなん言うてたら刺される?(^◇^;)
フフフ…手は届かなかったけど、手紙はなくても、気持ちが通じあえばいいですよね。この先の原作の展開に期待、です。
2015.10.27 Tue 23:46
Edit | Reply |  

Name - eriemama  

Title - Re: なにコレ~なにコレ~( ;∀;)

> 素敵です(*≧∀≦*)!!

月末ですね!!お疲れさんです(*≧∀≦*)!!(訳:嬉しいですありがとうございます)

> 青木がこれくらい苦悩して、薪さんへの気持ちを少しでも成長させてたら…!そしてそこからの前回の赤面だったら…!
> あーん、薪さん薪さん薪さん!!
> 好き!←は?

私も好き!(笑)書けば書くほど遠くなる私の青木は、ゆけさんのレスにも書きましたが別人28号とゆうことでどうぞ流してください(−_−;)彼はこんな苦悩とは無縁ですよ、きっと。もっとあっさりあの赤面に辿り着き、でも彼だけがわかってない、気づいてない(笑)←青木…お主も罪よのぉ…

> 薪さんのもうおまえは家族だよ、ってメッセージがぼんやり感じられてなんかあったかいラストですね。

そう言っていただけると嬉しいです。でもご期待に添えず申し訳ないです(笑)結婚させられなかった…(^_^;)
けど、こういうああんもう!なにしてんの二人とも!勝手にしてー!な日々を重ねて、「なぁ…俺たちって、つきあってるの?」「え…!?(//∇//)」「つきあってるの?」「つ、つきあってるんじゃないの?////」みたいなのも少女漫画の世界ではよくある話…ってあかんあかんいい年してはっきりせな!(笑)

> この後離れて見守るつもりの薪さんの極上の微笑みに逆にほんとの気持ちに気付いてしまったわんこが勢いづいてめちゃめちゃ口説いて押し倒して根負けして結婚、てことですねわかりました。

まぁ、そういうことだ(薪さん風)
原作がそうなるといいですよねぇ。先生、まんざらでもない気がするんですけどねぇ。

> お口チャックもお疲れさまです(笑)
> 私は明日遅番で仕事終わりに書店直行します。楽しみです(*≧∀≦*)

直行するなみたろうさんを薪さんが待ってますよ!もうもうもう、待ってますよ!←限界(ゼーゼー…)
2015.10.27 Tue 23:37
Edit | Reply |  

Name - eriemama  

Title - Re: No title

> くー、たまらんです。じーっとスカイプ越しに青木君を見ていた薪さんの顔を想像するだけで、切ない~、たまらん~、です。

けいさん、ありがとうございます(^_^;)急いで書いたし、まだ修正間に合ってなくてさぞや読み辛かったのでは…(ーー;)でも、想像していただけて嬉しいです。何せ最後を早く書きたくて薪さんのターンを1話すっ飛ばしちゃったくらいなので(笑)表現力足りてないので、ほんと読んでくださる方の想像力頼みなのですけどね…。

明日、ほんと待ち遠しいです〜。早く叫びたい(笑)


2015.10.27 Tue 23:20
Edit | Reply |  

Name - eriemama  

Title - Re: ふふふふふ~(´艸`*)

> いやーだ、aokimamaさん~~(笑)。え?eriemamaさんでしたっけ??←もううざい!
> 青木が乗りうつってる!(笑)

ウハハハハ!イタコ参上!←こういうのを悪ノリと…(-。-;
もう青木クセになってますが、今書いているのは宇野さんなのです(笑)

> すごーい。私、青木の気持ちちゃんと考えたことないかも~(ひどい)

あ、私も「ちゃんと」は考えたことないです(笑)多分、彼は大切なことになると「ちゃんと」考えてないやろうな、と…ごめんなさい、ウソです(ーー;)

> でもそうですよね。青木はこういういい子だと思いますっ
> おバカちゃんなところがクローズアップされがちですけどね(笑)。薪さん大好きな青木は大好きです。

いい子なんでしょうけど、ここまではウダウダ考えないやろうなぁと思ってます。このSSは別人28号なので!(笑)
まぁ、アレですよね、案外人間って、何となく感じてる、ってことの方が多くて、日常的につきつめて考えることなんてよほどでないとないと思うんですよね、青木が特別おバカちゃんとかじゃなくて、こんなもん、というか。平均的男子なんやないかとも思えます。ましてや薪さんのことに関しては、こういう恋愛感情では、ねぇ…青木が好きなのはこれまで女性だったし、色々いい加減気づけ、とか言ってきたけど、無理もないやね、と思う気持ちもあるのです(^^;;

> ご両人のおかげで一応ゲットできたんですけど、は…反動でにゃんたろーさんのところに変な絵文字を置いてきてしまった……あれは失敗だ……(*_*;
> 次はもうちょっと上手に我慢しよう…。

ウフフ( ^ω^ )フライングも結構大変でしょ?私も今日、直メールでやりとりしてもらえた方とお喋りできてだいぶ発散できたのですけど、大きな声でいろいろ言いたいですもん(笑)いつ口を滑らしちゃうかと思うと、4巻特別編の薪さんみたいになりそうですよ…(^_^;)
2015.10.27 Tue 23:09
Edit | Reply |  

Name - ヤマネ  

Title - ああ、もう

こんな素敵な終わり方を用意されていたとは!
青木くんも考えてるよ、グルグルだけど。私も、手紙3人の視点で書こうと思ってたけど、ええ、もう充分満足しました。
薪さんは見守ってくれるから、青木くんも薪さんの支えになって、ちゃんと!お願い!

最後の一言と、そこまで切らずにいた薪さんの想いがたまりません。ああ。でも、伸ばした手が届く前に画面が落ちるとは!薪さん、さすがSだ‼
2015.10.27 Tue 22:53
Edit | Reply |  

Name - eriemama  

Title - Re: 終章!

> おお、滑り込みセーフ、おめでとうございます!

ありがとうございます、こっそり滑り込みました(笑)

> このラストシーン、すごく好きです。いや~、スカイプって使える子だわ…。

スカイプねー、スカイプ…ウググ(>_<)

> シンポジウムでの青木くんの拍手喝采の裏には、やはり薪さんがいたんですね。

いやぁ…本当は私、原罪の後今の連載で再会するまで、会うのはもちろんこういうスカイプや電話や、そういう直接なのはなかったような気がしているんですけどね(^_^;)あのプレゼン、薪さんノータッチだったと思う…←なのに何故?

明日、楽しみですね!もうちょっとお口チャックで辛抱します!っていうか、お口チャック合言葉みたいになってる…?(^^;;
2015.10.27 Tue 22:53
Edit | Reply |  

Name - なみたろう  

Title - なにコレ~なにコレ~( ;∀;)

素敵です(*≧∀≦*)!!
青木がこれくらい苦悩して、薪さんへの気持ちを少しでも成長させてたら…!そしてそこからの前回の赤面だったら…!
あーん、薪さん薪さん薪さん!!

好き!←は?

薪さんのもうおまえは家族だよ、ってメッセージがぼんやり感じられてなんかあったかいラストですね。
脱稿お疲れさまでした。ありがとうございます( ;∀;)

この後離れて見守るつもりの薪さんの極上の微笑みに逆にほんとの気持ちに気付いてしまったわんこが勢いづいてめちゃめちゃ口説いて押し倒して根負けして結婚、てことですねわかりました。

お口チャックもお疲れさまです(笑)
私は明日遅番で仕事終わりに書店直行します。楽しみです(*≧∀≦*)
2015.10.27 Tue 22:22
Edit | Reply |  

Name - 柏木 けい  

Title - No title

くー、たまらんです。じーっとスカイプ越しに青木君を見ていた薪さんの顔を想像するだけで、切ない~、たまらん~、です。プレゼンの事前の打ち合わせ、きっとこんな感じだったんだろうなあ。と思います。はー、明日朝一で紀伊国屋行こうと、思います。待ちきれません。ステキなお話ありがとうございました。
2015.10.27 Tue 22:17
Edit | Reply |  

Name - ゆけ  

Title - ふふふふふ~(´艸`*)

いやーだ、aokimamaさん~~(笑)。え?eriemamaさんでしたっけ??←もううざい!
青木が乗りうつってる!(笑)
すごーい。私、青木の気持ちちゃんと考えたことないかも~(ひどい)

でもそうですよね。青木はこういういい子だと思いますっ
おバカちゃんなところがクローズアップされがちですけどね(笑)。薪さん大好きな青木は大好きです。
落ち着いたらまたじっくり読み返します(*´▽`*)

そしてありがとうございますー。
ご両人のおかげで一応ゲットできたんですけど、は…反動でにゃんたろーさんのところに変な絵文字を置いてきてしまった……あれは失敗だ……(*_*;
次はもうちょっと上手に我慢しよう…。
2015.10.27 Tue 21:51
Edit | Reply |  

Name - たきぎ  

Title - 終章!

おお、滑り込みセーフ、おめでとうございます!
このラストシーン、すごく好きです。いや~、スカイプって使える子だわ…。
シンポジウムでの青木くんの拍手喝采の裏には、やはり薪さんがいたんですね。
メロディ、鞭じゃなくて飴ときいて安心しました。
今日はこのお話を読み返して、明日に備えます♪
2015.10.27 Tue 19:01
Edit | Reply |  

Add your comment